Vantablackのブログ

文字で伝えたくないこと

しょほうせん

処方箋 医師が薬を処方するときの書類のことなので、病気の人が健康になるために(薬を)処方される

比喩的に処方箋の意味を借りて表現すると、生きる上で処方箋が不要だと思っている人には処方箋があった方がよい

生きる上での処方箋も、その人が思う(場合により、思わなくても)生き方により、処方される内容は異なる

そもそも、生きる上で必要な物事の全てを知っていて人としての存在を始めた訳ではないのだから、最初は、物事の全てを知らなくて当たり前であり、何かに失敗したとしても、ごく普通のことであり、至って正常

そのような背景の中で、大切なのは学び伝えること (ここでは"伝える"と表現したが、まあ...いろいろ...、正しい表現ではない...)

"学ぶ(学び)"という意味合いも、学校での学業などとは異なる

学業の表現に習い、表現すると"継業"?

処方箋はもらえなくとも、処方箋のヒントになる物事は、日々起きていて、感じ、考え、表現(別の表現では存在するということ)をする行為の中に存在している

表現(この世に存在すること)は、次の表現(存在)へと伝わり、場合により継続される

存在する(存在することにより表現される)ということに価値があり、その価値(価値の方向性?)に応じて適切な処方箋がある

自身の価値を見出していない方々へも

だれにとってのふつごう

誰にとっての不都合

 

不都合は、隠される場合がある

 

隠すということは、欺(あざむ)き、詐(いつわ)るということ

 

自己の利益のために隠す人は、欺く人々の仲間

人を欺く人々は、お互いを欺きびと(他人を欺く人)と認識し、その上で、お互いの立場をまもりあって(お互いのメリットのため)いる

 

欺きびとの周りに、欺きびとあり

いわゆるひとつのけいこうとして

 

(所謂(いわゆる)(かどうかは知らないが))一つの傾向として

 

弱い人は、否定から入る

 

否定は、否定でもここで言う否定は、そのものを拒否する意味合いが強い否定行為

(何か新しい物事を考えるときに、拒否する傾向があるということ)

拒否したのだから、検討する必要さえ無い

ここでいう拒否は、物事を検討して拒否の判断をしたということではなく、判断さえ拒否するということ

 

(ここでの、弱さや強さの概念の範疇は、「考えることができる生物として」その範疇での強さくらいの意味)

 

物事についての思考能力が低いとか

組織において役職は高いが、能力が伴っていないとか

そのような場合に、考える以前に否定する

 

人は、安全策を選択する

足下(あしもと)が暗いのに、そのことを考慮しないで前に進む人は居ない

自身を安全圏内に保持することは必要なことなので、それぞれの人が行うが、単にその安全圏が狭いと言うこと

 

対外的に否定することは、そのようなこと

 

そうでない人(普通の人???)は、先ず知ろうとする

知って、そして判断する

(なにも知らないのに否定する行為は、ほかに否定する理由(その判断にたどり着く思考内容及び順序が必要)が必要)

相手を否定するのは、自己を肯定するための相対的判断傾向に訴えただけの対応

 

理解し初めて、判断ができる

理解せず判断する事の愚かささえ、自覚できない状態

 

自身の思考手順の欠陥に気づくことができないような欠陥を抱えた状態

なので、他の話題でどこどこに欠陥があると伝えても、そのことを認識することは無く、分かったふりをするのが精一杯

 

うまくいく組織は、少なくとも組織内の権限や責任に応じた安全圏を持つ人がそれなりの立場に居ると言うこと

うまくいかない組織は...

あんていしたひとつのせいたいけい

安定した一つの生態系を考えてみる

 

どのように安定した生態系かというと、“進歩しない”安定した生態系を考えてみる(要は中の生物は満足しているが、行く末は朽ちるのみ(その意味で安定している...))

 

大切なのは、進歩しないと言うこと

そこで、活用できるのが、愚者(ぐしゃ)

ここでの愚者の特徴
  • 自身は愚者では無いと認識する事。
  • 自身の能力は一番素晴らしいと認識する事。
  • 他の者は皆、愚者だと認識すること
  • その生態系で、それなりの権限を有すること
  • まともな素晴らしい能力が(最低一つ)あるように見えること

 

得られる効果
  • 上記の特徴を備えた愚者にその生態系を制御させることにより、進歩しない(進歩しないと言うか、進歩から逆行する)生態系を構築することが可能となる。
  • 何もできない人よりも、頑張って逆行する行為に達成感を得る人を活用する方が、逆行への安定性が増す
  • 周りの者は、自身より劣っているのだから、意見を聞く必要などないと思う
  • どんどん逆行しているのに、愚者は素晴らしい進歩だと認識する
  • 似たもの同士は寄り添い集まるので、そのような愚者の候補が次の愚者になり、引き継がれる

 

一つの生態系を考え、その行く末を想像する事は、その生態系の特徴を知る手がかりになる

 

地球という一つのテラリウムの中で

 

 

 

かんがえるいぜんのゆうせんじこう

考えるという意識的な行為の前の段階で優先的に判断されている事柄について

 

身体に備わる生命維持機能より優先度が低く

本能の次ぐらいに位置し

自信で、考える行為と認識できるかどうかの境界辺り

明確に考察し判断する行為よりも優先度が高いくらい(説明の都合上、“探意識界”での判断と仮に表現する)

 

そのあたりかな(考えの優先度としてのイメージ上の位置づけとして)

 

一つの例として

(地位や社会の中での位置づけ等の概念の中で生きている人々についてのお話)

 

本人の認識において、自己の能力と(自己の認識による)社会的な自己の位置づけに隔たり(自己能力の方が低い)がある場合、その位置づけの維持が、上記“探意識界”での最優先事項を処理する機能として起動し動作を開始する

 

この部分で処理された事柄が表現される場合、その部分は(外部から)同様な傾向として認識できる

 

現状の維持及び、現状の維持ができなくなる状況の破壊行為についての考察が常に働いているということ

全ての考えの元に、この判断が働いているが、本人でさえ自然のことなので認識できない

認識できないので、正しいとか正しくないとかの判断さえされない

 

たぶん、本人へそのことを伝えても、認識できないであろう

しかし、誤った判断を表現し続けている人は、その部分に問題があると思われる(明らかに、論理的に矛盾になる判断を繰り返す人とか)

 

そもそもの世界の捉え方を誤認識している人(注1)は、その誤認識した世界での維持が最優先事項となりその世界で生き、それ以外の世界は偽の世界となる(虚と認識)

世界をどのように認識しながら生きているのか?

その認識を元に、その世界で生きるためにに必要な最低限度の必要なことがらが、“探意識界”へ沈み込み本人の認識から外れ存在し機能している

 

(注1)

結局、世界(生きていく上で必要な外部認識)のイメージをどのように自身内部に構築しているのか

多様な認識ができ、多様な人々を受け入れ、多様な考えに理解を示して生きているのか?それとも、自己保身第一で、周りを虚否(虚と認識し、否定する)し、自己を肯定し続けているのか?などで、“探意識界”でどのような判断が妥当なのか構築され機能する

この部分の認識に大きな隔たりがある場合、認識の共有はあきらめた方がよい、それぞれの人生を費やし構築された人生観が異なるということなので、どちらが正しいなどと言って解決される問題ではない

 

あるていどのりゆう

ある程度の理由

 

物事に対する捉え方の一つとして、"理由は何なのか?"ということを考えてみるのは大切なこと

 

本来の行動目標があり

様々な要件の影響により、妥協した解決策として何らかの行動ルールが決められている場合などは、そのルールが最善策ではない場合があるから

 

その、本来の行動目標も、実はもっと良い代案があったりする

 

理由の理由は何だろう?と考えてみるということ

 

妥当な考え方の元で考えられた物事の理由の理由は、シンプルに統一が取れている

統一が取れていない場合は、その事を考えた人は、意識の統一が取れていない可能性がある

 

そのような環境には、同じように"目的意識がない人"が集まる(集まると言うか、まともな人にとってはストレスとなる環境)

 

まともな環境に身を置く方が、無駄な時間の浪費が少なくなるのでおすすめ

あきらかにとういつがとれていない

明らかに統一が取れていないが、(注)実は統一が取れている

(注:当人的には...、たぶん...)

 

論理的に破綻した事をさも自然に表現出来る人々について

 

論理的側面が明確に破綻している話を次から次へと話し、矛盾だらけで統一が取れていない内容だが実は統一が取れている

 

どういうことかというと、

 

全てが、"その場しのぎでの対応"という点について、統一が取れている(辻褄が合っている)ということ

 

俗に言う嘘つき(この場合、利己的なもののみ)の人の言動を観察すると、その場をどう納めるか?とか、どうやって自分の権威を保つか、などという部分で、統一は取れているが、(その人なりの)最適解としての言動が、結果として"嘘"になっているという場合がある

 

個々の言動間の整合性は取れていないが、本人的には、整合性がとれているらしい

(嘘つきの上位者(?)になると、本人的にも整合性が破綻している)

(たぶん、嘘つきの上位者は、個別に誰々にはどうこう言って、別の誰々にはこう言ったという事を個別に記憶していないので、より広く見ると整合性が破綻しているように見えるのだろう)

 

特質

・自己の判断上の基本となる考えや信念と言われる部分は、既に退化している(嘘つきには必要ないので)

・その場の状況に応じた、柔軟な対応能力の向上(対応の品質は...)

・後付けの理由の豊富なバリエーション

・論理的に考える以前の、反射的な言動

・嘘つきの自分を正当化するための、より上位の嘘や、独自の価値の(論理的(架空/虛空))世界の構築

・論理に基づく思考能力の停止(退化)

・自己正常化機能の欠陥

・思考機能の欠陥...(この一言で済んでしまう)

 

お互い気をつけないと