いわゆるひとつのせいたいけい
いわゆる一つの生態系を仮定し、その生態系の必要要件を(さらに)仮定すると
・持続可能である
・進歩が期待できる
複数の生物種がいて
生物種間で、補完しあい
生物種内で、補完しあう
この段階で、一つの生態系として必要な条件をクリア
(補完:ここでは、協力し、譲り合い、助け合うの意)
仮定する範囲をより広くした場合は、
生態系の交流においては、上記条件が満たされる場合のみ、他の生態系との交流が認められる
お互いが、お互いを補完し合える関係の集まりであれば、生物としての必要条件には合格できるのではないかと思われる
「地球という一つの生態系についてどう思う?」という質問を小学生にしてみたい、誰か答えてくれないかな?
いつわりのじだい
偽りの時代が終わりを迎え始めた
知らず知らずのうちに、偽りにならされ、さも正しいと思わされてきた、この時代
振り子ではないけれど、偽りの方向に振り切れたから、
その方向から、
また別の方向へと振れ始める
これまで、通用してきた
偽りの属性を保有する諸々のものの偽られた価値は、本来の価値が顕(あら)わになることでしょう
例えば、言葉での○○主義などというのは、都合のいい言葉を集めて都合の良いように作られた虚像
人物然(しか)り
物然り
仕組み然り
未来の歴史で、"偽りの時代"と呼ばれるようになる、この時代
(誰が悪いとか、これが間違っているとかではなく)
偽りの言葉で繋がったこの時代から、素直な想いで繋がる時代へ進まないかなぁ
基本は人びと
ごくふつうのこうどう
ごく普通の行動を他人に説明する時に困難が伴う場合がある
普通の行動(何の意図もなく行う行為の意)には、その行動をする理由がなかったりする
自然に他人に親切にしている人の親切にする理由とか
親切にするという行為の概念として、「親切」と言う言葉があるが、(当たり前だが)言葉は後付け
(言葉を理解するということは、その言葉の元となる概念を自分のものとして、その概念に対する言葉をひも付けて覚え、共有する行為なので、言葉を理解せずに、さも理解したように使う人の話は、眉唾ものだったりする..)
「困っているヒトを見かけたから」と親切をする"きっかけ"になったかも知れないが、それは単なるきっかけで、親切にする理由ではないとか
親切にする行為が、身に染みこんでいて、歩いたり、食事をしたりする事と同レベルになっている人にとっては、理由を聞くこと自体が無意味
そういう人は、普通の人から見たら、親切があふれ出ていて(親切が服を着て歩いているような)、全ての行為が親切行為に見えたりする
きょうせいされたいし
強制された意思
人に物事を強制するということ
強制された環境のもとでの意思は、強制の影響を受けた意思となる
強制は、なにも生まない
自由意志から、進歩が生まれる
(まともな思考能力は、当然必要)
強制と、自由意志では、自由意志が尊重されるべき、しかし、その自由意志には、環境の制約が伴う、よって環境の構築が重要になる
正しさ(真実?)の発見へと導く、自由意志の行使と、環境の進歩。
様々な生き方をして色々なことを体験したひとびとから意見を聞き、何が正しいかを判断する
正しさは、歴史の中にある。歴史といっても、勝者が作った偽りの歴史ではなく、これから作られる生きた歴史のなかにある、ひとびとの歴史の中に
ほしんのじだい
保身の時代
ホモ・サピエンス(人)、
一つの生物種としての成長段階としては、保身はもう不要(他の生物種と争っていない)
一人の人間としては、住んでいる国や環境によるが、保身が不要な環境はそれなりに存在する(政権が安定していたり、犯罪が少ないなど)
周りに、他人を攻撃する人が存在する環境においては、保身行為が必要となる
そのような環境でなければ、保身は不要(わざわざ、他人を攻撃する人は居ない)
物理的に安全な環境での、精神的な保身なのだと思われるが、
精神的に他者を攻撃する人は、精神的に保身をしている人(単に、本能として、身を守る行為として、他者を攻撃している)
ある人の判断の根本部分に保身の要素がある場合、その人の判断は、新たな保身を生む
その先にあるのは、争い
政治的/権威的な(ある種の)概念内で、一見、力があるように見える人々の中に、自身の精神的な弱さを源泉とする方々が存在する場合、同様に争いへの道を歩んでいることになる
土台としての、心の強さがあり、その上での志
命名【保身びと】
・物理的に安全な世界において、精神的に保身行為をしている人
・当然だが、(俗に言う)悪ではない
・見た目の強さと反比例する場合が多い?
・独自の世界で生きる
・本能的仕組みから、精神的に他者を攻撃する
・他者からの意見に対する第一反応は、否定
・思考論理が破綻している
・素晴らしい、かけおちびと
はじまりはおなじでも
始まりは、同じでも
その後の経過が真逆になる場合がある
【始まり】
自分より能力が優れている人がいると感じた場合
【判断:誤り】
「周りの人の判断は間違っている、優れているのは私だ」と自己暗示をかける
【経過:誤り】
事ある毎に、自分が正しく優れている理由を定義し、優れている自分の仮面を作り、独自ルールの世界を作り続け、一般社会から孤立する
【判断:まとも】
「世の中に優れた人は沢山いるんだ、色々教えてもらい、学ぼう」と気づく
【経過:まとも】
学びながら、時には教えながら、お互いが成長する
保身?から、最初の判断を誤ってしまうのか?
自己的には、それなりに論理的な整合性が取れているのかもしれないが、対外世界との接点では、論理基盤(の)構造が異なる為、整合性を取ることが出来ない
論理基盤構造の違いから発生したグルーブ間では、意思の疎通は無理であり、人として(?)優れている方が、他方の面倒を見ることでしか進歩しない
進歩の停滞要因ではあるが、俗に言う悪ではない