いわゆるひとつのけいこうとして
(所謂(いわゆる)(かどうかは知らないが))一つの傾向として
弱い人は、否定から入る
否定は、否定でもここで言う否定は、そのものを拒否する意味合いが強い否定行為
(何か新しい物事を考えるときに、拒否する傾向があるということ)
拒否したのだから、検討する必要さえ無い
ここでいう拒否は、物事を検討して拒否の判断をしたということではなく、判断さえ拒否するということ
(ここでの、弱さや強さの概念の範疇は、「考えることができる生物として」その範疇での強さくらいの意味)
物事についての思考能力が低いとか
組織において役職は高いが、能力が伴っていないとか
そのような場合に、考える以前に否定する
人は、安全策を選択する
足下(あしもと)が暗いのに、そのことを考慮しないで前に進む人は居ない
自身を安全圏内に保持することは必要なことなので、それぞれの人が行うが、単にその安全圏が狭いと言うこと
対外的に否定することは、そのようなこと
そうでない人(普通の人???)は、先ず知ろうとする
知って、そして判断する
(なにも知らないのに否定する行為は、ほかに否定する理由(その判断にたどり着く思考内容及び順序が必要)が必要)
相手を否定するのは、自己を肯定するための相対的判断傾向に訴えただけの対応
理解し初めて、判断ができる
理解せず判断する事の愚かささえ、自覚できない状態
自身の思考手順の欠陥に気づくことができないような欠陥を抱えた状態
なので、他の話題でどこどこに欠陥があると伝えても、そのことを認識することは無く、分かったふりをするのが精一杯
うまくいく組織は、少なくとも組織内の権限や責任に応じた安全圏を持つ人がそれなりの立場に居ると言うこと
うまくいかない組織は...