Vantablackのブログ

文字で伝えたくないこと

2018-01-01から1年間の記事一覧

わかるひとわからないひと

分かっている人と、分かっていない人 分かる人は、分からないということを認識できる人 分からない人は、分からない事の認識が出来ないが故に分かっていると誤解し認識する人 分かる/分からないは、知っている/知らないの知識の有無とは別

どちらかわからないときは

どちらか分からないときは じふんが、どちら側かわからないときは、反対側からの目線で物事を捉えてみる すると、 よく見える

こころのうつわ

心が入る器がある その器が満たされていないと、隙間ができる その隙間には別の意識が入る余地がある もともと別だった意識(の部品)がその隙間に入ってきて、その人の意識(の一部)になる 心に隙間があっても、もともとの意識が融和的であれば、融和的な意識(…

ふくざつかかんたんか

物事を考えるときに、複雑な方向に考える人がいる 反対に、簡単(シンプル)な方向に考える人もいる 頭の中がシンプルな人は、シンプルに考える事ができるが、頭の中が複雑な人はシンプルに考える事が出来ないので、結果として複雑な考えにしかならない。 (こ…

そういうがいねんがそもそもないひともいるが

人の本質は欲である 欲にまみれている時には、気づかないが 欲の先に、幸せはなく 欲と言う概念の外側に、幸せはある そもそも、幸せは、求める対象となるものでもない 不幸は嘆くものではなく、物事を行ううえでの理由でもない

ちがうといえばちがう

相対的なもの 概念的なもの 判断条件付きなど 違うと言えば違うものは、たくさんある そのような事柄は、違っても、違わなくても、どちらでもよかったり、大した影響が無かったりする 違う/違わないの判断で、その後が大幅に変わるのであれば、それなりの判…

あやまちをみとめられないひと

最初は、何が正しく何が正しくないのかわからない 何が正しいか、何が正しくないかは学び続ける事でしか身につかない 小さい頃は、道路の車道や歩道のルールを知らないので、ふつうに飛び出したりする 学ぶことで、その社会に適応していく 自分が正しくない…

いかりのがいねん

怒りの必要性 まだ、怒りを必要としている人々はいる そのうち、そもそも、そういう概念が無い人が現れる 怒りの概念がある人同士では、機能するが、怒りの概念が無い人からすると、怒る人は滑稽にしか映らない 怒りの概念がない人は、怒りを抑えたり、怒り…

ひとは

他人の喜びを自分の歓びとする 他人の幸せを自分の幸せとする 他人の悲しみを自分の悲しみとする 他人の怒りを受け止める姿勢 自己の経験に依るところが大きいが 人として、人との関係において出来ること

じんせいはけっかとしてなんとかなる

なんともならないと思うのは、人が作ったルールがあるから 所詮人が作ったルール 所詮自分で意識して決めたルール 所詮自分で無意識のうちに身につけたルール お互いに生きていく上で本質となる簡単なルールは必要として、その上で生きていく事も選択肢の一つ…

ろんりむじゅんのかおり

人も組織も同じ 論理的な矛盾がある人は、旧い言葉で、人格障害 論理的な矛盾がある組織は、内部に障害がある組織 群を作る そして滅びる 自己の整合性を司る機能を停止したその先にあるものは ある程度の矛盾を含んでいる、その世界の中で矛盾側になるのか…

りふじんなこととかこんなんなこと

理不尽な事と思えたり、 その行為や行動が困難なことと思えたり それは、その物事が、あなたの領域内にあるということ そもそも、理不尽や困難な事だと判断できたということは、そういうこと。 自身の領域になければ、そもそも、そういう事を判断するまでに…

ただしいこととただしくないこと

何が正しい事なのか? 何が正しくない事なのか? 判断できる人もいるが、判断できない人もいる? 意見がちがうこともある 正しいと言っても、結局は条件付きだったり 条件や立場が違うと、何が正しいのかということも変わってくる ひょっとして、“正義”も同…

よいわるいは、みらいをむいたときにある

過去を向いた時、そこにあるのは ある選択肢の結果と記憶、 そこには良い悪いは無い。 未来を向く時、 選択肢の候補に付随して、良い悪いの予想結果がある 結果を見て、未来の選択肢を選び続ける 個人の結果 組織の結果 国の結果 人類の結果

わたしのはんい

国境などという、低レベルな生物が考えた概念と似ていて、例えが良くないが それぞれの人の空間的、行動範囲的、責任者的範囲を仮定してみる その範囲内のことは、その人の領域なので、全ては自由に決められる 範囲外であれば、自由には決められず、他の人が…

ひとはまちがいをおかす

人とはそういうもの 人としては、ごくごくまとも そもそも、間違いは、間違いで、それいじょうでも、それ以下でもない 間違いは、間違い、良いとか、わるいとかはなく、次に生かせる種となる 間違えた結果として、不具合事が起こったのなら、その対処をすれ…

むれるひとびと

群れる人々 自己の利益のため 敵ではないよという意思表示 一緒に敵と戦い、お互いが自己の正当性を確認し合う 群れてはいるが、仲間ではない。今は自己の利益になるから群れているだけ 群の中心的存在の立場の人からみて、自己の利益にならなくなったら、群…

ひょうへんするひと

時刻の経過に沿って表せば、"豹変する"となる 起きた事象をもとに表せば、"地が出た"だけのこと 偽りの自分を演じることができなくなったので、次点の解決策に切り替えたということ 豹変して、凶暴になる人は、恐怖を感じている。それは、今さら人には無用だ…

ぜんとあく

相手をやっつけようとするのが悪 相手を助けようとするのが善 問題は、悪には相手を助けるという概念がないと言うこと。 そのため、自分が助けようとされていることの理解が出来ずに攻撃されていると認識してしまう。 "助ける"というのは善の領域の概念なの…

すごいひとびと

世の中にはいろいろな人がいます。 性格、考え方、感謝される人、他の人をだます人 いろいろな人が居ることにより、そこはお互いが学べる環境となる 中には、"善"の塊のような人も居て、人間の枠内に居て良いの?などと思える人も... また別のパターンで、"…

ぜんとあく

善と言う概念があり 対する概念として悪がある 簡単な見分け方 自分が良い思いをして相手が嫌な思いをする選択をする人は悪 見分けられたとしても 自分は善と思っているから改善の余地は無い そういう残念な方々

すでにおわっているかたがた

人生という枠はあるのだけれども その中身がないということ そういう人の人生は、単に時間が経過するだけ 簡単に言うと、既に終わっている 勘違いをすると、大抵こういうことになる

げんじつは

台本と実演 世の中は、台本が基本 台本に書かれたことが、しばらくして、舞台で上演されるようなもの 上演=現実 上演されるまでの期間は、数日だったり、数週間だったり、数年だったり 台本は現実の事柄の影響を受けて作成される すべての事柄に台本があると…

ぷれーやーがしゅやく

わかりやすく言うと プレーヤー:そのままで役に立たないひと サポーター:プレーヤーのガイドとなり、サポートする人 役に立たない人が自分の行動で役に立つ人になれる教員する場所 当然だけれども、すべての選択はプレーヤーの自由 中にはとんでもないプレ…

まともな情報は

インターネット上には存在しない 伝えようとする内容と、受け取った内容で乖離が発生する そもそも、文字のみで伝えることには無理がある

しゅうそくへむかいはじめる

昨日あたりから 物事は、収束へ向かい始めた これまでは、たくさんの選択肢があったが、その選択肢を選ぶことが難しくなってきたということ。 選択肢が少なくなり、 結果として、物事は収束へ向かう

あたりまえのこと

あたりまえのことを説明するのは難しい

つよいひととよわいひと

強い人はわざわざ弱い人を攻撃しない 隙をついたりもしない そもそも相手にしない よわいひとは、大声を出して相手を威嚇する、さも動物が吠えるように よわいひとは、相手の隙をついたりする、隙をつかないと勝てないと分かっているから 人間にとっての物理…

まねのできないこと

人に親切にする人がいる、さも自然に 理由を聞けば答えるのだけれど、考えないで行動をしているようだ 見て => 考えて => 行動 ではなくて、 見て => 行動 のような感じ 真似をするのは、難しい 考えないで行動をするということは、無意識にしている呼吸のよ…

あゆみよるのりょういき

"歩み寄る"ということは、自分が歩いて相手に近づくということ "歩み寄る"という行動は、自分の行動であって、相手の行動とは無関係 自分でその行動を選べると言うこと、行動をしても良いし行動をしなくても良いと言うこと。 その行動をするのかしないのかは…