Vantablackのブログ

文字で伝えたくないこと

こころのろんりてきふせいごうのたねのせいせい

《心をモデル化して考えた場合の、自己のモデル(対外向け)は、無いのが良いのだが、存在するものは仕方が無いと諦めるか?その事実と向き合い改善しようとするのか?》

 

自己のモデル(対外向け)は必要に迫られて作られたもの

矛盾をなくすために作られた

しかし、その矛盾は、心と言うか自己と言うか人格と言うか、自身で生成したもの

 

周りから言われる自分の評価に堪えられないから、自己保全用の耐えられる自分を作り心の秩序を維持した。

・周りからの自分に対しての評価は、正しくない

・自分は正しい

・上の2点より、正しい自分を正当に評価しない周りは正しくない

・なぜ正当に評価しないかというと、悪意があるから

↑この論考を正当化するために生成されたモデル、ここで正しい自分と正しくない"自分以外"が生成された

正しい自分が存在するためには、正しくない他者が必要になった

 

以降、何かあれば、正しい自分のモデルと正しくない自分以外(正しくない他者)のモデルが補強されていく

正しくない他者モデルを補強するために、あらかじめ、"他者は悪意がある"というとフィルターを通す、すると後のモデルの保守フェーズがスムーズに動く

自己の言動や行動の認識は、自然とおろそかになり、自己認識機能が低下する。なぜなら、正しい自己のモデルと照らし合わせると矛盾となるから、判断の優先度として、正しい自己のモデルの維持が最優先なので、そのモデルの維持が困難になるような状況はあらかじめ排除される

 

そして、

同様に、正しくない他者モデルを持っている人と繋がり、お互いに更に補強していく

 

自分(と仲間)は正しく、他者は正しくないという思考パターンが生ずる

 

すると、向上心が無くなる、何故なら自分は正しいから、向上する必要かないから。

向上心が無いから、様々な新しい事柄について行けなくなり、周りに迷惑をかけるようになり、アドバイスをもらうが、そのアドバイスを聞くことが出来なくなる。何故なら、自分は正しいから、アドバイスを聞くことすら出来なくなる。

この状態での改善は不可能となる

何故なら、周りからの助言は全て"正しくない他者"のたわごとでしかないのだから。

 

それ以前に、自分は改善する必要はなく、改善する必要があるのは周りだと思っている。