ごくふつうのこうどうにも
ごく普通の行動にもいろいろなものがあり
世の中の仕組みは良く(?)出来ていて、親切が服を着て歩いているような人がいるかと思えば、反対に、悪意が歩いているような人もいる訳で
親切な人が、自分がやっていることをわざわざ親切だと思わないのと同じように、
(当人にとっては)悪意無く、無理なく自然に悪意のある行動を繰り返している人もいる
何事も継続すると、慣れる場合があるが、悪行を継続した場合は、悪行のエキス(?)が、体に染み込んでしまうのか?
染み込むと、もう手がつけられなくなる
悪意が身体に染み込んでいる人は、自然に(良し悪しの判断無く)していても悪意が表現される
その段階になると、本人には全く悪意がない(染みこんでいるから単なる通常の生きるための行動をしているだけ)ので、「貴方には悪意がある」と当人に伝えても、理解できずにその言った人に、悪意があると思ってしまう。
理解不能:単にごく普通の行動をしているだけで、元々その行為を正当化する理由も無く、悪意無く行っている行為なので、言いがかりだと判断してしまう、
(親切な人に"親切にするな"と言っているようなもので、親切な人にとって理解できないのと同様に悪意がある人も理解できない)
そういう人がいると、その環境は、悪意のたまり場になる
(このような方々を指して、トラブルメーカーというのか?)
そういう方々と、意思の疎通が出来るようになったら影響を受けているということなので、要注意
"普通だ"と思っている事柄が、実は普通では無く、なれてしまっただけの事柄を普通だと勘違いするのは危険
常に自身の行動を吟味しより良い行動を心がけたい