あるひととないひとのあいだには
有る人と無い人の間には、
優越感という概念があるが、一体どこで、どのように、構築されたのか?
優越感を感じる人びとが、発端だと思われるが、
まあ、何の役にも立たない
存在理由が謎
しかし、
優越感を劣等感の反対の概念だと仮定して考えると
劣等感で生まれた凹みを埋める材料が優越感?
(劣等感も優越感も、個人で自己をどう思うのかという部分なので、とやかくいうことは無駄なのだけれど(論ずる価値がたぶん無い))
個人として、外界を認識するフィルター(外部の事実をどのように認識するのか?という部分)の癖があり、自己認識による自己像と、フィルター越しに認識する自己像の乖離状態に対する、一つの意識反応ではないかと
自己認識機能の不備若しくは、外界を見るフィルター性能の欠如等が原因か?
単に他者の意見を聞いて、自分の認識誤りを訂正すれば良いことなのだが(他者にどう思われているのか(他者の評価内容が正しいかどうかとは別の話し)という部分なので、あたりまえ)
また、自分で考える自分の評価がどうなのかという部分は、なんの役にも立たない
このような、何かを補うための欲求は終わりがない、人生の限りある時間を費やしても足りない
優越感とか、劣等感とかがある人とない人は、そもそも異なるのかも?